ゴルフダイジェスト編集 世界のゴルファーを魅了する名門コースの流儀
幸運の歴史に切り開かれた「名門」への道
霞ヶ関カンツリー倶楽部
東京五輪のゴルフ競技の舞台であり、日本を代表する「霞ヶ関カンツリー倶楽部」。
五輪を前に、東コースはリスク&リワードを理念としてトム・ファジオ親子の手により改造され、新たな一歩を踏み出しました。
開場から90余年、その歴史は数々の幸運に恵まれたものでした。

川田 太三
公益財団法人日本ゴルフ協会特別顧問
日本ゴルフコース設計者協会理事長
株式会社ティアンドケイ代表取締役社長
1944年、東京都生まれ。米国オハイオ州立大学を経て1967年、立教大学法学部卒業。
ゴルフ場の設計23コース、改造29コースのキャリアを持ち、全英、全米などメジャートーナメントのレフェリーも歴任。
まず初めに、ゴルフ場における「名門」について私見を述べさせてもらいます。
日本ではクラブ(倶楽部)とコースは一体化していますが、英国で興ったクラブはそれが先にあり、コースはクラブメンバーが愉しむための余興の場として付け加えられたものでした。クラブとは同じ価値観を持つ者の集まりであり、もし礼儀を重んじる価値観を共有していれば、例えば、ドレスコードという規則などは不要と考えられます。その集合体が歴史を経て洗練されていけば、それが「名門」となり得る。つまり、そこに集う人たちが築き上げていくものだと思うのです。
現在、名門と呼ばれるコースは全国にいくつかあり、霞ヶ関カンツリー倶楽部(以下、霞ヶ関CC)は、例えば、東京ゴルフ倶楽部が皇族、廣野ゴルフ倶楽部が関西の経済界重鎮など、当時の特権階級が集まってできたクラブと異なることは、その歴史を見ればおわかりになるでしょう。

「ゴルフは武士道に通じる」が霞ヶ関CCの原点
霞ヶ関CCの開場を語るには發智庄平という人物は外せません。發智家は現在のコースがある埼玉県霞ヶ関村笠幡の大地主で50万坪を有し、その内の10万坪を無償貸与したことで造成されました。1929年(昭和4年)、發智翁は「ゴルフは武士道に通じる」と鳥打帽を被り、羽織袴に襷がけという格好でラウンドしたと言われます。發智家30代当主で翁の曾孫にあたる美恵子さんは「大正デモクラシーの影響で個人主義が横行し、礼儀を軽んじた社会が嘆かわしかったのでしょう。審判のいないゴルフは日本の武士道に通じ、道徳心を取り戻すスポーツと捉えていたようです」と語っています。
更に驚くべきは、翁は「民主的にパブリックコースを造り大衆にも開放せよ」と主張したことでした。実際、パブリックコース建設計画は道半ばで頓挫しましたが、霞ヶ関CCが最初からゴルフ大衆化の道を目指していたことは明らかで、36ホールあるというのはその証左に他なりません。閉じられたエリートのためのコースなら18ホールで十分。36ホールあるコースのハウスはざわついて静かな会話も楽しめません。しかし霞ヶ関CCのレストランでは、ホールアウト後、暗くなるまで仲間同士が賑やかに酒を酌み交わし、食事を楽しむなど、他の名門といわれる倶楽部では見られない雰囲気を漂わせています。
会員が各ホールを分担してコースを設計、造り上げた
開場時の創立メンバーも、華族・財閥は例外的に5名のみ。各界の現役トップ、新帰朝者などで、これは東京ゴルフ倶楽部と全く対照的でした。また東コースの設計は井上信、赤星四郎、石井光次郎、清水揚之助、藤田欽哉らが各ホールを分担し設計、藤田がまとめ役を担い造り上げました。西コースは東コースから3年後の1932年に開場。
設計は井上誠一の単独でしたが、来日していたチャールズ・H・アリソンが10番ホールを見て「グリーンの前にバンカーを造りなさい」と助言し、深いアリソンバンカーが造られ、東洋一美しいといわれたパー3が誕生。アリソンのちょっと立ち寄っての助言、これも幸運と言わなければならず、また、戦後、米軍に接収されながら、コースが維持されたのも幸運でした。

東コース10番。池越えのパー3。アリソンの助言によりグリーン手前に大きく深いバンカーが設けられ、戦略性、美観共に高く評価されている。改造により、やや姿は変えたものの、その美しさは不変。
カナダカップ開催で霞ヶ関CCの名は世界へ
更に幸運は続きます。1957年、カナダカップ(後のワールドカップ)の舞台として選出されたのです。主催するIGF(国際ゴルフ連盟)は候補となるコースを視察。大会準備委員長のフレッド・コーコランは、1番ホールの“広さ”を見て即決したと言います。世界30ヵ国、60名が覇を競い、日本チームが団体(中村寅吉、小野光一)、個人でも中村が優勝して、日本に未曾有のゴルフブームを到来させたのです。これを契機に霞ヶ関CCは国際試合が行われた舞台として世界から注目されるようになり、名門への道が開かれたのでした。
コースへの高い評価は言うまでもなく、そこに集うメンバーのゴルフへの情熱、そして、いくつかの幸運により、日本を代表するコースとして成長した霞ヶ関CC。東京五輪のコースにも選定され、また一つ大きなステップを踏むことになるでしょう。

武蔵野の緩やかな丘陵地に展開する東、西の36ホール。これまでに日本オープン2回、日本女子オープン1回を開催。そして、東京五輪で世界の名手たちがここで覇を競い、新たなドラマが生まれる。
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