|特集1・特別対談| デジタル世界のIDのより良い在り方を求めて

誰にとってもインターネット上で他者とつながることが不可欠である現在、デジタル世界の中で個人の身分を証明する「デジタルID」の果たす役割は重大です。しかしネット上では、データの漏洩や改竄、なりすましといった問題が絶えず、また、大手IT企業に個人情報が集中するという状況も起きており、今、デジタルIDの在り方が問われています。そうした中、安田クリスチーナ氏は、新しいデジタルIDの標準化と社会実装を実現すべく世界各国で活動を続けてきました。一方、長年デジタルIDの技術開発に取り組んできたCTCの富士榮尚寛氏は、今年、日本におけるデジタルIDの在り方を模索するべく、慶應義塾大学とCTCの共同研究をスタートさせました。
デジタルIDとは何か。そしてその現状は―。キーとなる「分散型ID」の技術や、背景の思想について、安田氏と富士榮氏に聞きました。
取材・文/近藤 雄生
異国とつながる幼少期の体験がきっかけ

安田 クリスチーナ
Kristina Yasuda
独 飛躍的イノベーション機構(SPRIND)
「The EU Digital Identity Wallet(EUDIW)」
プロジェクト アーキテクト
1995年ロシア・サンクトペテルブルク生まれ、札幌育ち。パリ政治学院政治学部・法学部卒業。在学中の2016年、デジタル技術を活用して途上国支援を行う米NGO「InternetBar.org」のディレクターに就任。その後、コンサルティング企業、米マイクロソフトを経て、2024年に独SPRINDに入社。現在、欧州の新しいデジタルIDの枠組みを構築するプロジェクトで活動する。
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- お2人それぞれの、これまでの活動や取り組みについて教えてください。
- 安田
- フランスで大学に通っていた頃に、難民をはじめ、身分を証明する「アイデンティティ(ID)」を持っていないがゆえに困難を抱える人たちの問題に興味を持ちました。彼らを支援する方法がないかを考える中で、デジタルIDに関する新しいコンセプトやテクノロジーについて独学で学ぶようになり、大学在学中に、デジタル技術で途上国支援を行う米国のNGO「InternetBar.org」に参加。そしてバングラデシュで、難民にIDを発行する事業を立ち上げ、その実証実験を試みるなどもしたのですが、すぐに様々な課題にぶつかりました。技術上の未成熟さも実感し、さらにテクノロジーを深掘りしていくようになりました。
大学卒業後、NGOでの活動は継続する一方で、コンサルティング企業へ就職。その後、米マイクロソフトに入社し、「分散型ID」(詳しくは後述)を用いたデジタルIDの国際標準化に向けた技術整備に取り組みました。そして2024年にドイツ政府下の組織に移り、今は、EU(欧州連合)の新しいアイデンティティの枠組み作りに参画しています。 - ―――
- フランスで難民のアイデンティティ問題に関心を持ち始めたのには、何かきっかけがあったのですか。
- 安田
- 背景として、祖父がクリミア出身ということがまず大きく関係しています。子どもの頃、毎年夏に、家族でクリミアの祖父の所に遊びに行っていたのですが、ソ連崩壊から間もなかった当時、道路は壊れ、水も週に1回出るか出ないかといった状況でした。大好きなおじいちゃんがこんな環境で過ごしていることを知って、その頃から、色々な環境で暮らしている人がいるということに思いを巡らせるようになりました。そしてフランスでの大学時代には、多様なバックグラウンドを持つ学生たちの中で、自分自身のアイデンティティにも向き合うようになり、アイデンティティの問題に本格的に取り組むようになりました
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- 富士榮さんはいかがでしょうか。
- 富士榮
- 私は、CTCに入社する以前から、IDのテクノロジーに技術者として関わりを持ってきました。当時、2000年代前半は、まだインターネットの黎明期で、IDに関する問題が広く共有されていたわけではありませんが、企業内のシステムを適切に運用するためには、社員のIDをどう設計すればいいかといった問題は既にありました。そうした中で、お客様の要望に合わせた技術開発などを行ううちに、だんだんとアイデンティティそのものへの興味が強まっていきました。
先ほどの安田さん(以下、クリスチーナ)の話にも少しつながるかもしれませんが、私は幼少期に中東のイランやバーレーンで暮らしていました。イランでは当時革命が起き、私たちが日本に帰った直後には中東戦争が起きました。現地の友人の中でも、戦争に巻き込まれて亡くなったり、国を追われたりした人もいたのではないかと思うのですが、そうしたことが意識のどこかにあったことが、アイデンティティというものに興味を持つきっかけになったような気がします。
そして、アイデンティティの技術により深くコミットするようになり、関連する様々なコミュニティに顔を出すようになる中で、クリスチーナと知り合い、現在に至ります。
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