|特集1・特別対談| デジタル世界のIDのより良い在り方を求めて

EU、日本にとって今必要なIDの枠組みを作る
- ―――
- お2人の現在の取り組みについて教えてください。まず、安田さんが取り組まれているEUでの新しいデジタルIDの枠組み作りとはどのようなものなのでしょうか。
- 安田
- EUは2014年、EU域内で統一的に用いられるデジタルIDを、加盟各国が整備することを求める法律を制定しました(eIDAS)。そして2024年にその法律を改正し、2026年11月までにデジタルIDウォレット「The EUDigital Identity Wallet(EUDIW)」を発行することを、全ての加盟国に義務付けました。国が発行したデジタルIDに加え、その人の属性に関する各種証明書、運転免許証、卒業証明書などを電子的に保管し、使用できるような、分散型IDの技術を活かしたウォレットです。EU加盟国の個人がEU域内で各種サービスを受ける際に、自分のアイデンティティを自分でコントロールできる基盤を作ろうということです。
細かい設計は各国に任されているものの、2年という年限の中でこれを実現するのは容易ではありません。多くのステークホルダーが関わる上、クリアすべき技術や枠組みの課題も無数にあります。例えば、オランダのウォレットをドイツの病院で使う場合、ドイツの病院は、それが本当にオランダのウォレットであるかをどう確かめるのか、また、オランダのウォレットはドイツの病院の信頼性をどう確認するのか。そうした点を一つひとつクリアするために、私は、EU各国や欧州委員会、ドイツ国内の企業などと交渉したり、システムの構造を規定するためのアーキテクチャドキュメントを書いたり、といったことに日々奔走しています。
- ―――
- EUにおける取り組みは先進的で、かつ進み方が迅速で驚かされます。
- 安田
- EUでは、多くの人が国境を行き来しながら生活しているので、国を越えてデータの信頼性を担保することはとても重要であり、求められています。EU域内で各国が合意した信頼の枠組み、すなわちトラストフレームワークを作り、皆が標準化されたウォレットの中にIDを入れて持ち運ぶようになれば、安全性も利便性も上がるし、ビジネスもぐっとしやすくなる。特に今EUは、一つの経済圏としてアメリカや中国に勝たねばという意識があります。そのためにも、デジタルIDの標準化へのモチベーションは高いのでしょう。
- ―――
- CTCでは2024年8月から、次代のデジタルIDの在り方を模索するべく、慶應義塾大学との共同研究「Trust Knots」を始めています。その概要を教えてください。
- 富士榮
- まだ始まったばかりの取り組みですが、ひと言で言えば、「“信頼”をどう実装していけるかを探る」というのがこの研究の一番のテーマです。
今、クリスチーナから話があったEUの状況に対して、日本はどうかと言えば、国内、または業界内で、あらゆることが完結するような状態でずっと来ました。そのため、その境界の外に自分のアイデンティティを持ち運んで信頼を得たり、境界の外から来た相手の信頼性を検討したりするということにあまり意識を置く必要がなかった。しかし、これからはそうはいきません。例えば教育で言えば、ドイツで教育を受けた人が日本に来た時、その学位レベルが日本ではどのレベルに相当するものかをすぐに読み替えられるような、国際的に互換性のある枠組みが必要です。そしてそのような枠組みを、信頼性の高いものとして作るためには、技術面での工夫のみならず、そもそも信頼とは何か、私たちはどうやって他者を信頼しているのか、ということを解きほぐして考え、それをコードに落とし、システムに実装していくことが必要になります。
つまり、EUが作ろうとしているデジタルIDの枠組みのようなものを日本に作るとすれば、どのような形があり得るのか、どんなテクノロジーが足りないのか。そういったことを探り、必要なコンセプトを練り上げていこうというのがこの共同研究のテーマだと言えます。 - ―――
- 背景には、とても大きなテーマがあるのですね。
- 富士榮
- はい。そして今は、考えたコンセプトを具体化するためのユースケースをいくつか作り、必要なソフトウェアの開発・実装を、実証実験レベルですが、進めています。それらを実際に走らせて、そのコンセプトに基づくより大きな枠組みを作るために足りないものは何か、どのようなルールを構築すべきか、といったことを洗い出していくというのが大きな流れです。日本における新しい信頼の枠組みを作り上げることに貢献できる研究にしていきたいです。

個人がスマートフォンの「ウォレット」に自身の各種身分証明データを保持。必要に応じて各機関で求められる証明データを提出。
記載内容は掲載当時の情報です。最新情報と異なる場合がありますのでご了承ください。