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ゴルフダイジェスト編集 世界のゴルファーを魅了する名門コースの流儀

記憶に残る美しさと高い戦略性 川奈ホテルゴルフコース

太平洋を眼下に望む「川奈ホテルゴルフコース」が、今また世界から高く評価されています。
自然の地形を活かした富士コースと大島コース、変化に富んだ36ホールは、シグネチャーとメモラビリティという名コースの条件を満たしています。
開場して93年。時は流れても川奈は変わらず、ゴルフの醍醐味を味わわせてくれます。

川田氏近影

川田 太三

日本ゴルフコース設計者協会 理事長
株式会社ティアンドケイ 代表取締役社長
1944年、東京都生まれ。米国オハイオ州立大学を経て1967年、立教大学法学部卒業。
ゴルフ場の設計23コース、改造29コースのキャリアを持ち、全英、全米などメジャートーナメントのレフェリーも歴任。

川奈ホテルゴルフコース

「世界のゴルフコーストップ100」は、米国ゴルフダイジェスト(以下、GD)誌とゴルフマガジン(以下、GM)誌が2年に1回、隔年で発表しています。

一昨年のGM誌には、日本からは廣野GCが39位(前回から1ランクアップ)、川奈ホテルGC富士コースが12位もランクアップし56位にランクされています。

GD誌の“同トップ100”に入っている日本のコースは4コースですが、ここでも川奈・富士の上昇度が目立ちます。廣野GC(50位→13位)、川奈・富士(75位→26位)、東京GC(ランク外→63位)、鳴尾GC(84位→71位)。米国のコースが別枠になっていることを除いたとしても、日本のコースは再評価されていると感じています。

英国のリゾートコースの影響を受け大倉財閥の別荘として建設

川奈ホテルは大倉財閥の大倉喜七郎によって建設されました。大倉は明治時代、英国留学中に貴族たちが利用していたゴルフ場、乗馬、テニスコートなどを備えたリゾートホテル、グレンイーグルス・ホテルに滞在して感銘を受け、帰国後、大倉財閥の別荘として建てたということです。私はグレンイーグルスというより、ターンベリーに似ていると思いますが…。

開場は1928年。最初にオープンしたのはJGA(日本ゴルフ協会)創設者の1人、大谷光明によって設計された大島コース、18ホールでした。

もう1つの富士コースは赤星六郎設計で6、7ホールができ上がった頃、大倉は折から東京GC朝霞コース、廣野GC新設で招聘された英国の造園家、チャールズ・H・アリソンに着目、設計を変更しています。諸所に見られる深いバンカーなどがアリソンのアドバイスで造られたといいます。そして1936年、ホテルと同時に富士コースが開場。

川奈は太平洋戦争勃発直後、米英両国大使館の抑留先となったり、その後は海軍の病院となります。戦後は連合国軍による接収を経て大倉財閥の元へ戻っています。現在は西武系プリンスホテルの経営となっていますが、その歴史事情はさておき、川奈が国際的に脚光を浴びた理由を、私見として述べておきましょう。

相模湾を一望する高台に建つ川奈ホテル

伊豆半島、伊東の南に位置し、相模湾を一望する高台に建つ川奈ホテル。富士、大島と趣の異なる36ホールのコース、重厚でクラシカルな雰囲気のホテルを備えるゴルフリゾート。

世界アマ選手権で高い評価を得て注目

それは第3回世界アマチュアゴルフ選手権大会(以下、世界アマ)<1962年>が、川奈で行われたことに起因します。

1957年、霞ヶ関CCで行われたカナダカップ(後のワールドカップ)では日本が優勝して、日本に第1次ゴルフブームが訪れるのですが、成功裏に終わったカナダカップの礼を表明するため、時のJGA副会長、野村駿吉がUSGA(全米ゴルフ協会)を訪れます。
その時に提唱したのが、世界アマの創設です。USGAの決断は早く、なんとその1年後には第1回大会がゴルフ発祥の地、英国のセントアンドリュース・オールドコースで行われるのです。第2回大会は米国の名門メリオンGC。英米両国での開催は、ゴルフ大国として当然のことだったでしょう。参加国は20ヵ国以上、次は豪州、カナダと考えられるのですが、第3回はなんと日本で、しかも国際的には無名の川奈での開催だったのです。その世界アマで川奈の評価は一気に高まり、世界のゴルファーから注目されるようになりました。

1954年、当時人気絶頂の女優、マリリン・モンローと大リーガー、ジョー・ディマジオが新婚旅行で日本に来た時、川奈を訪れています。

海を望む景勝地に描かれた36ホールの造形美

世界的に名コースと呼ばれるそこには必ずシグネチャーホールが存在します。シグネチャーホールとは、そのコースの代表的ホールのことで、ロケーションの美しさ、戦略的にどのレベルのプレーヤーも挑戦しがいのあるホールを指します。またメモラビリティ(記憶度)に富んでいることも名コースの条件の一つでしょう。

川奈にはシグネチャーホール、メモラビリティ、この2つの要素がしっかりと刻印されています。打ち下ろす1番ホールの景観、灯台へ向かって打っていく―SOSのニックネームがある―11番パー5。15番の断崖美、16番、17番、18番、自然の地形を活かしきったレイアウトは見事と言うしかありません。
現代なら重機でどんな風にでも地形を変えることができますが、当時は重機などなく、モッコを担いで人の手で造られた造形美には、いつ訪れても息をのみます。

雄大な太平洋を眼下に望む高台に建つクラシックな趣のあるホテルと、戦略性豊かで球趣あふれる富士、大島の36ホールは、日本が世界に誇るコースとして、これからもゴルファーに愛され続けることは間違いないでしょう。

出典:Best Engine Vol.11

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