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ゴルフダイジェスト編集 世界のゴルファーを魅了する名門コースの流儀

中国にある唯一無二の存在、英国テイストのゴルフコース

香港が英国から中国に返還されるまで「ロイヤル」の称号を冠に持っていた「香港ゴルフクラブ」。
それだけにコースには英国の香りが漂い、国際色豊かなゴルファーが集う。香港No.1コースにふさわしい風格を持つ。

川田 太三

川田 太三

日本ゴルフコース設計者協会 理事長
株式会社ティアンドケイ 代表取締役社長

1944年、東京都生まれ。
米国オハイオ州立大学を経て1967年、立教大学法学部卒業。ゴルフ場の設計23コース、改造29コースのキャリアを持ち、全英、全米などメジャートーナメントのレフェリーも歴任。

ロイヤル香港ゴルフクラブは、1889年、ハッピーバレー(快活谷)に9ホールとして創設されました。最初、このエリアはフットボール、ポロ、クリケット競技場と共有し、ゴルフも順番制でした。1891年、会員は100名を超え、クラブハウスを建設。それまで女人禁制だったゴルフ場へも1896年以降、条件付きで女性の入場が許可されます。1898年、新たに海水浴も提供する深水湾の土地とリース契約を締結、ハウスも建設され、メンバーはボートに乗ったり、ポニーに乗ってコースまで移動し、キャディはクラブやピクニック用品を持って歩いたといい、香港を統治した英国人たちのレジャーを彷彿とさせます。

140ヘクタールの土地にオールド、ニュー、エデンの54ホールを展開

オールド、ニュー、エデンと名付けられた3コース。初めて訪れる人にはガイドブックもある。

オールド、ニュー、エデンと名付けられた3コース。初めて訪れる人にはガイドブックもある。

1903年ハッピーバレーは独占的にゴルフクラブに譲渡され、女性は日曜日のみプレー可となりました。1911年、北地区役人は政府や地元農民と交渉を行い、ファンリンに18ホールの土地を確保し、年末にはオールドコースが、さらに1931年にはニューコースが完成します。1941年、戦局により深水湾のリース契約を打ち切られ、ハウスは軍の補給基地に転用。1947年にはハッピーバレーは政府に引き渡され、事実上クラブは破綻の憂き目に合うことになります。

しかし、メンバーや地元企業の支援によりファンリンの修復を開始し、10年間続いた巨額な事業により、クラブは復活。1970年にはエデンコースも追加され、140ヘクタールの土地に54ホールが完成し、現在に至っています。なお1997年、英国から中国へ香港が返還された際、ロイヤルの“冠”は消され、香港ゴルフクラブとなります。

「ロイヤル」の称号が与えられている団体は世界中に3,000以上あり、英国の故エリザベス女王とロイヤルファミリーがパトロン、もしくは団体の長として招待されます。その称号を得る条件としては「高名で安定した財政状態にあり、国家的、慈善的な目的に捧げられた機関」に限定されるとしています。例えば、我が国で宮内庁から御用達業者に選抜される査定基準と大差ないと考えて良いのではないでしょうか。

世界のトッププロたちもここで戦い、腕を磨いた

1959年からは香港オープンが開催され、同一コースで催される試合としては、米国のマスターズに続き2番目の歴史を持っています。

アジアサーキットにも組み込まれ、後にメジャーを獲るようなビッグになった選手たちも武者修行とばかり、こぞって参加していました。オーストラリア出身、全英オープンを5回制覇したピーター・トムソンは3回(1960、1965、1967)、トム・ワトソン(1992)、近年ではローリー・マキロイ(2011)、ジャスティン・ローズ(2015)の名が並びます。最多優勝はイタリアのミゲル・アンヘル・ヒメネスの4回(2004、2007、2012、2013)。日本人の優勝もあります。杉原輝雄(1969)、勝俣功(1970)、金井清一(1986)の3人です。

1984年には世界アマチュアゴルフチーム選手権も開催されています(アジアでは日本に続き、2番目)。この時、私は団長(日本ゴルフ協会国際委員)として参加させていただきました。キャプテン・中部銀次郎、選手に阪田哲男(個人1位)、加藤一彦、木村憲明、尾家清孝で団体優勝を遂げることができたのです。それまでの優勝はゴルフ大国の欧米、豪州などでしたが、日本が勝ったことにより、その後の優勝国は“下剋上”の様相を呈しました。

女子はキャプテン・尾関久江、選手が伊藤佳子、服部道子、高橋良江で団体4位と健闘しました。同ゴルフクラブは日本アマチュアゴルフ界のターニングポイントを演出してくれたコースだと感謝しています。

コースは英国インランドの林間風、フェアウェイはカーペットグラスと呼ばれる現地独特の野芝。立つとラフにいるようなフカフカ感があり、雨が降ると2、3㎝は伸びる生命力があるとのことです。アイアンでのスキルが求められると思います。

誕生以来130年の歴史を刻む香港ゴルフクラブ。静かな落ち着いたコースは英国領時代の香りを漂わせる。ゆったりとした起伏、セパレートされたホールがゴルファーを迎える。

誕生以来130年の歴史を刻む香港ゴルフクラブ。静かな落ち着いたコースは英国領時代の香りを漂わせる。ゆったりとした起伏、セパレートされたホールがゴルファーを迎える。

住宅地不足で返還を迫られるも存続の声も大きく、先は不透明

現在、会員は2,500名ほど。その内訳は、香港財界人など50%、英国、豪州、ニュージーランド40%、日本、インド、韓国7~8%、中国がわずか1%といわれています。会員申し込みは順番待ちで最低10年かかり、法人会員は億単位の金額が必要とされる狭き門だといわれています。

ところで今、香港は長く慢性的な住宅不足に陥っていて、「ゴルフ場をアパートに」という世論が高まっているといいます。オールドコースが8ホール返却されて営業していないというのも、これらの事情に関係しているのではと噂されています。しかし、香港政府の腰は重く、その理由は、香港財界人たちの支持を失うと体制維持に支障をきたす、という恐れからではないかといわれています。

都市のゴルフ場がなくなると、残っている自然生態系は破壊され、また「世界国際都市のコースで、世界規模の試合が開催できる場が失われると、香港にとって商業的に多大な損失になる」と、同ゴルフクラブの存続を望む声も拮抗しています。一度失われると、未来永劫帰って来ないというのは、火を見るより明らかでしょう。

どう推移していくのか、注視していきたいと思っています。

香港ゴルフクラブ
出典:Best Engine Vol.15

記載内容は掲載当時の情報です。最新情報と異なる場合がありますのでご了承ください。

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