コーヒーハンター José. 川島 良彰の珈琲をめぐる冒険
コーヒーを一生の仕事に。エルサルバドルの甘くて苦い青春
José.川島 良彰[ホセ・かわしま・よしあき]
株式会社ミカフェート 代表取締役社長
日本サステイナブルコーヒー協会 理事長
チャレンジコーヒーバリスタ 実行委員長
1956年静岡県生まれ。1975年、大学留学のためエルサルバドルへ。当時、世界の3大研究所の1つであった国立コーヒー研究所に入所。大手コーヒー会社で農園開発を手掛けたのち、2008年、株式会社ミカフェートを設立。CTCひなり運営の「HINARI CAFE」の監修も手掛けるほか、同CAFEで使用されるコーヒー豆も提供している。
絶滅危惧種のコーヒー品種の発見・保全や、幻の品種を探し出し、再生するなど、“コーヒーハンター”として世界中で未知なる品種を探し続けている。主な著書に『私はコーヒーで世界を変えることにした。』(ポプラ社)、『コーヒーで読み解くSDGs』(ポプラ社)、『人生を豊かにしたい人のための珈琲』(マイナビ出版)など。名前のJosé.(ホセ)は、外国での愛称。
焙煎卸業を営む家に生まれた僕は、コーヒーの麻袋が積まれた倉庫が遊び場だった。
袋に記された国々に憧れ、小学生時代からブラジルに行くと言って父から叱られ、高校生になっても言い続けた。とうとう諦めた父は、コーヒー視察旅行の帰りに訪問したメキシコの国立名門大学に留学しろと言い出した。が、何のツテも情報もない父は、視察旅行の主催者であったエルサルバドルのベネケ駐日大使に相談を持ち掛けた。そんなきっかけで、僕はエルサルバドルに留学することになった。これが僕のその後のコーヒー人生を決めた。
留学の手はずは、全て大使が整えてくれた。大使の妹さんの家にホームステイし、ミッション系の私立大学の経済学部に入学した。数ヵ月ほどで、友人たちから“ホセ”という愛称で呼ばれ、スペイン語会話も多少は身に付いてきた僕は、コーヒーについて勉強できる場所を探し、「国立コーヒー研究所」を見つけた。アポも取らずに所長を訪ねたが、もちろん門前払い。僕は諦めず、日参し続け、とうとう所長との面談にこぎつけた。遠く日本からコーヒーを学ぶために来たのだと主張して、ついに若手農学博士について、2年間この研究所で学ぶことを許された。
渡航した1975年当時、エルサルバドルは世界第3位のコーヒー生産量を誇っていた。
単位面積当たりの生産量は世界一。所長は後に農務大臣になるような人で、ここがブラジル、コロンビアの研究所と並ぶ世界屈指の研究機関だということは、まだその時知らなかった。こうしてエルサルバドルのエリート農学博士に交じって勉強するチャンスを得た。
大学は休学し、研究所に通った。病害、虫害、遺伝子、育種、農学、土壌など、専門研究員がいる各課を数ヵ月単位で回り、国内各所に散らばる実験農園にも通った。コーヒーという樹木への知識が深まる度に興奮した。
さらに肌身で感じたのは、実験農園で働く人々のたくましさや温かさ、その技術力だ。
喉が渇くとヤシの木にさっと登ってヤシの実から水分を取る姿には、最初驚いた。大使の勧めで、農園に泊まり込みで収穫作業に参加したが、彼らは僕の10倍の速度で赤い実を採った。農園で働く人々は僕に優しかった。
それまで研究員が実際に収穫作業をすることがなかったからか、この国が歴史的に日本びいきの伝統を持っていたからだろうか。
国民性は中米一勤勉、自らを「中米の日本人」と例える。ともかく、コーヒーの樹木や果実は繊細で、農園の気候や土壌はもちろん、植え方、接木、収穫など働く人の手業にも大きく左右されることを身をもって知った。
これが僕の天職だと思い、家業を継がない宣言をして父から勘当された。
エルサルバドル時代。グアテマラ旅行にて。
ベネケ大使は帰国して僕に会う度、「ストリート・スマート」の大切さを教えてくれた。
先進国のように物資が豊富でなく、貧富の格差も大きい国では「アカデミック・スマート」よりまず「ストリート・スマート」を心掛けよと。知識に頼らず、何が起きても対応できる準備、気持ちを大切にせよということだ。
「どんな時でも何とかする」というポジティブ思考で「自分自身のためだけでなく、自分を必要とする全ての人のために最大の努力をする」という生き方。人の輪も、自分のためだけでなく他者のために使うことで、さらに広がるのだと大使は、僕に身をもって教えてくれた。これは僕の一生の財産だ。
その後、僕を試すような大事件・試練が続いた。1979年、軍事クーデターが勃発。山岳部での反政府活動が、やがて首都にも及んだ。仕送りもない僕はアルバイトをしながら研究を続けていたが、研究所に向かう車窓から道路に投げ出された死体を目にすることも少なくはなかった。そして、駐日大使の任務を終えて帰国していた恩師ベネケ氏が、ゲリラの標的となって帰らぬ人となった。
研究員の国外避難が続く中、僕は持ちこたえようと踏ん張っていた。誘拐される可能性があり、とうとう担当実験農園にも立ち入りが禁じられた。一時避難先としてアメリカ、ロサンゼルスを選んだ。コーヒーの研究が再開できるようになったら、すぐに戻るつもりだったからだ。
(次回につづく)
第1回 『コーヒーはフルーツ』
真っ赤に熟したコーヒーチェリー。
指で押して、果汁が出てくるのが完熟のサイン。
カップに注がれたコーヒーを見て、フルーツを思い浮かべる人はいないかもしれませんが、私は「コーヒーはフルーツ」だと言い続けています。その理由はまず、コーヒーが果実からできた飲み物である、ということです。コーヒー豆は“コーヒーノキ”になる実の種子。チェリーのように赤く熟すため“コーヒーチェリー”と呼ばれるその実は、とても甘く、糖度が20パーセントを超えるものもあります。もう一つの理由は、熟したフルーツがおいしいように、コーヒーも完熟した実から作られるものが一番だからです。逆に言えば、完熟前のフルーツに渋みやえぐみがあるように、完熟前に収穫したコーヒー豆にはえぐみがあり、コーヒーを淹れた時に雑味が出てしまいます。コーヒーチェリーは追熟をしないため、収穫時の完熟度合いが、コーヒーのおいしさを大きく左右するのです。3つ目の理由は、コーヒーが、フルーツと同じように甘味と酸味を楽しむものであるからです。コーヒーはフルーツ。だからこそ、完熟したコーヒー豆のみで淹れたコーヒーはえぐみも雑味もなく、コーヒー本来の酸味と甘味が楽しめるのです。
※ 次回は「おいしい(完熟した)コーヒー豆の見分け方」をお伝えします。
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