Best Engine

ITの最新動向を紹介する技術情報サイト

|特集|量子コンピュータの可能性に挑む

量子コンピュータの
可能性に挑む 【特集】伊藤 公平 × 里見 英俊

量子コンピュータによって、あらゆる現象が超高速で計算できる時代が来る―最近、そのような話題を目にする機会が増えている。量子コンピュータが現在どのような段階にあり、いかなる未来を創造するのか。量子コンピュータ研究の第一線を走り続けている慶應義塾大学理工学部学部長の伊藤公平教授とコンピュータやインターネットビジネスの最前線で技術の変遷を見てきた伊藤忠テクノソリューションズ(略称CTC)・フェローの里見英俊がその可能性について語り合った。

宇宙船のような特別なマシン

里見

「18ヵ月ごとに集積回路のトランジスタ数が倍になる」―。ITの世界で有名なこのムーアの法則は、実際にほぼ言葉通りに性能が向上している事実とコンピュータの性能がどんどん向上するという期待という意味でIT業界を長年支えてきました。しかしここ数年、物理的な制約から一部でムーアの法則の終焉もささやかれ始めています。

そのような中で、コンピューティングの性能を大きく変える可能性のある技術がGPUと量子コンピュータです。GPUは、画像処理の演算装置を汎用化したもので、並列コンピューティングやAI/ディープラーニングで性能を発揮し、既に実用の段階にあると言えます。量子コンピュータについては、カナダのベンチャー企業による製品化やIBM、Microsoft、Googleなどの取り組みなど、ここ1、2年でIT業界での動きが活発化してきているように思えます。

慶應義塾大学では産学連携の場として4月に「量子コンピューティングセンター」を開設されましたが、慶應義塾で研究されている量子コンピュータはどのようなものでしょうか?

伊藤

もともと私は半導体であるシリコンの研究を行っていました。シリコンには3つの同位体※1があり、そのうち質量数29のものだけが、磁石のように「上向き」「下向き」と切り替わる「核スピン」と呼ばれる性質を持っています。そのシリコン核スピンをチップの中に埋め込んで、「上向き」「下向き」のそれぞれにデジタル信号の1と0を割り当てれば、原子1個単位で計算するコンピュータができるはずだと思いついたのが20年前のことでした。ただ、個々の原子は量子力学の法則に則ってふるまうため、0か1かのどちらかではなく、0でもあり1でもある“重ね合わせ”の状態にもなる。つまりそのコンピュータは必然的に、量子コンピュータになるんです。それならばと、その後、量子コンピュータについて研究するようになりました。

研究を進めるうちに、シリコンの原子1個1個を並べた量子コンピュータは現実的ではないとわかり、より現行のコンピュータに近い発想で考えるようになりました。そして2015年、シリコン上に電子を1個ずつ置くことに成功し、2量子ビット(「量子ビット」については後述)のコンピュータを作ることができました。その後、私たちはソフトウェアの研究に軸足を移そうと考えたのですが、そんな折に、IBMが「量子ゲート方式」※2の第1段階とも言える量子コンピュータ「IBM Q システム」を発表しました。それを外部から使えるようにする計画に慶應義塾大学も参加することになり、「量子コンピューティングセンター」でまさにその実践が始まろうという段階です。

伊藤 公平

伊藤 公平

慶應義塾大学
教授 理工学部長・理工学研究科委員長

1989年慶應義塾大学理工学部計測工学科卒、1994年カリフォルニア大学バークレー校よりPh. D. in Materials Science取得。米国ローレンスバークレー国立研究所特別研究員、慶應義塾大学理工学部助手・専任講師・助教授、2007年より、慶應義塾大学理工学部教授。2017年より現職。

里見

5~6年先のITを見据えるならば、量子コンピュータについて知っておくことは不可欠だと感じています。しかし興味を持って学んでいっても、その具体的な姿はなかなかはっきりとは見えない。

例えば、メディアなどではよく、量子コンピュータが実現すれば、既存のコンピュータでは時間がかかりすぎて事実上解くことのできない様々な問題が簡単に解けるようになると書かれています。ですが、その具体的な手法や事例についてはまだで、本当に量子コンピュータでこうした問題を解くことができるようになるのでしょうか。また、量子コンピュータは現在どのような状態にあり、どんな可能性を持っているのでしょうか。

伊藤
量子コンピュータで実際に何ができるのかは、現状ではわからないと言うしかありません。現段階でこれが解ける、あれが解けるというのは、過度の評価が混じっています。量子コンピュータは決して万能なものではなく、あくまでも、パソコンやメインフレーム、スーパーコンピュータなど、用途によって様々あるコンピュータの中の一つに過ぎず、特定の領域においてのみ有用になりうるものだと考えています。移動手段に例えるとすれば、自転車、車、船、飛行機、宇宙船とある中の、宇宙船に相当するような特別なマシンであり、自転車や車が宇宙船で代替できないのと同じく、個人使用のパソコンまで全てが量子コンピュータで置き換わるという話ではありません。解ければ人類にとって有用だけれど、現在のコンピュータの能力では解くことができない特殊な問題を、1つずつ解けるように進歩すれば、量子コンピュータの存在価値が高まります。
里見
宇宙旅行が現実味を帯びてきたように、長い間解けなかった問題が解ける可能性を考えると、そこから世界がどう広がるかわくわくします。利用法の一つとして、薬の分子モデルを解き、創薬に生かせるという話はよく言われていますが、それが可能になれば、それだけでも量子コンピュータが私たちにもたらす恩恵は大きいですよね。
  1. 同位体
    同じ元素のうちで、中性子の数が異なるもの。シリコン(元素記号Si 、原子番号14)には、中性子の数が14、15、16の3つの同位体(安定同位体)があり、それぞれ質量数(中性子数+陽子数[原子番号])は28、29、30となる。
  2. 量子ゲート方式
    量子コンピュータには現在2つの方式がある。量子コンピュータの姿として古くから想定されていたのは「量子ゲート方式」(従来のコンピュータの論理回路の考え方に沿った方式)だったが、その実現の目途が立たない中、突如カナダのベンチャー企業D-Wave Systemsが「量子アニーリング方式」(“量子ゆらぎ”という現象を用いて、目的の計算結果を得る方式)の量子コンピュータを商用に完成させて世界を驚かせた。GoogleやNASA(アメリカ航空宇宙局)はこのコンピュータを実際に導入している。一方、IBMの他にMicrosoftなどが「量子ゲート方式」の量子コンピュータの開発を進めている。

記載内容は掲載当時の情報です。最新情報と異なる場合がありますのでご了承ください。