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|特集|シリコンバレーで起きている変革を理解し、活用するために

特集 シリコンバレーで起きている変革を理解し、活用するために シリコンバレーと日本企業とをつなぐ櫛田健児氏が語る 【特別インタビュー】櫛田 健児 スタンフォード大学アジア太平洋研究所 リサーチスカラー、Stanford Silicon Valley – New Japan Project プロジェクトリーダー

なぜシリコンバレーは特別な場所になったのか

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イノベーションを生み出す盤石のエコシステムがシリコンバレーにはできあがっているわけですね。なぜ、アメリカ西海岸のこの地域に、そのような場所が生まれたのでしょうか。
櫛田

その経緯には、複数の偶然や必然があります。シリコンバレーのあるカリフォルニアがアメリカ合衆国の州となった1850年代後半、産業の中心は東部にあり、カリフォルニアは、外からやってきた人たちによってゼロから開拓されていきました。そうした人たちは、西部で新たな産業を興そうという意識が高かったのでしょう。このような時代を背景として1891年にできたスタンフォード大学も新しい技術の創出に寄与します。そして長距離無線の技術を筆頭に、第二次世界大戦や冷戦が深まる時代の中、軍事とも関係しながら、様々な技術やその周辺の産業がこの地で生まれることになりました。

そうした中、1950年代に、トランジスタの発明者の一人であるウィリアム・ショックレーが、スタンフォード大学のあるパロアルトで会社を作ります。その後、この会社にいた8人の技術者が独立してフェアチャイルドセミコンダクターという会社を創設します。この会社が、軍からの受注で弾道ミサイルなどに使う半導体を製造することで急拡大しました。更にその創業メンバーの中に、後にインテルを創業するロバート・ノイスやゴードン・ムーアがいたり、フェアチャイルドの従業員だった人たちが有力なベンチャーキャピタルにより、大企業となった会社を作ったことで、現在のエコシステムのベースが作られたのです。そして、新興企業に適した世界初の電子株式市場としてNASDAQが71年に設立され、インテル(68年創業)やアップル(76年創業)が大規模なIPO(新規株式公開)を行ったことで投資家の目が向くようになり、現在の流れができていったのです。

──
アメリカ西海岸の歴史、そして様々な偶然が積み重なって、現在のシリコンバレーになったのですね。
櫛田
フィンランドのヘルシンキや、イギリスのロンドンなど、スタートアップが盛り上がっている都市は世界各地にあります。しかし、ヘルシンキには人材が世界中から集まっているとは言えないし、ロンドンは、フィンテック系のスタートアップは確かに活発であるものの、ブレグジットに関わる政治的なリスクもある。またパリには、世界最大のインキュベーションセンターが2017年にできましたが、スタートアップの成長に必要なベンチャーキャピタルやサポーティングプレーヤーが十分にいるかといえば、疑問です。シリコンバレーのように各要素が揃っている場所は見当たりません。
──
日本にもスタートアップエコシステムができてきていると聞きますが、その現状はどうでしょうか。
櫛田
20年ほど前に比べると、かなり良くなってきています。以前はIPOが非常にしづらかったのに対して、今ではとてもしやすくなり、その結果、小規模のIPOを果たしたスタートアップが日本で多数生まれました。一方、ユニコーンと呼ばれる突出したスタートアップは育っていないのですが、その点は、逆に特長となるかもしれません。シリコンバレーでは、急激な速度で成長してスケールしないとIPOできずに淘汰されてしまいます。iPS細胞を利用したスタートアップなど、簡単にスケールできないサイエンス関連のスタートアップは、日本で小さな段階で上場させ、その後大企業と組んで安定的に伸ばす、という戦略を取る方が良いかもしれないのです。そのように、シリコンバレーに必ずしも向いているとは言えない業種もあるし、その意味で、各国にあるスタートアップエコシステムは、シリコンバレーと補完的な関係で成長していけるとも言えます。

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